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2014年4月 9日 (水)

関連エッセイ 月刊エレクトーン創刊3号より (1972年)

1971年当時の日本のバカラック・ブームが垣間見えるエッセイです。

前回記事で1971年の来日公演ライブアルバムをご紹介しましたが、その年の12月に『 月刊エレクトーン 』という雑誌が創刊されました。エレクトーンはヤマハの電子オルガンで、1959年に第1号が発売されそれまでの足踏みオルガンの代替楽器として普及を目指していました。そんななか創刊されたのが『 月刊エレクトーン 』でした。今でも現役の雑誌でして、私もごくたまに購入しております(毎月20日発行)。

(画像は全てクリックすると大きくなります)
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『 月刊エレクトーン 』 3号の表紙/目次

今回ご紹介するのは、その『 月刊エレクトーン 』の創刊3号(1972年2月発刊)の58~59ページに掲載された「 楽譜をニラんでるだけではエレクトーンはうまくならない 」というエッセイです。エレクトーンを弾く人の心構えを説いているのですが、当時のバカラック・ブームを取り上げて話の入口にしているのです。執筆者の服部正さんはネム音楽院(のちのヤマハ音楽院)の院長という方。文面から察するに服部さんは特段バカラックのファンではないと思われ、割とニュートラルにブームを捉えているんじゃないかと思います。バカラックに触れた部分は最初の2割程度 ~太字部分~ だけですが、全文をそのまま転載することと致します。

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 昨年はバカラックの花ざかりであった。プレーヤーはもちろん、作曲家も、歌手も、バカラック、バカラックと、太鼓をたたいての大騒ぎであった。バカラックご本人もはるばる日本に来て、なん回かのコンサートを開いたのだった。とにかく、バカラック・ブームであった。しかし、これだけ騒ぎ立てて、なにか生まれたといわれたら、なんだったろう……と首をかしげる人が多いだろう。
 1969年、私が女性オーケストラ「 グレース・ノーツ 」をひきいてカリフォルニアを演奏旅行していたころ、アメリカ全土にバカラックが流行し始めていた。宿をしてくれた家のご主人から「 Do you know the way to San Jose 」などの譜をわたされて、アレンジしてやってみないかなどとすすめられたりもした。
 バカラックの音楽は、リズムにも、サウンドにも、きわめてユニークなひらめきがあって、今日の若者には受けるに違いないと、当時私は直感した。しかし、これは日本人の感覚からは少し遠いところにあるもののようにも思えた。
 バカラックという音楽家が、そうとう厚ぼったい音楽的教養の上に、どっかと座っていることが感じられたからである。バカラックの魅力というものは、その音楽の裏にかくれているスタンダードをわかってこそわかるものであるからだ。彼はそのスタンダードをバカラック風にソフィスティケートして遊んでいるのである。日本人にとって、こういう音楽は少々苦手である。日本にはそういうスタンダードがはっきり存在しないのだから。
 あれだけ「 バカラック、バカラック 」と鉦や太鼓で騒がれたにもかかわらず、それほどの結果も出ないで終わってしまったことの理由は、この辺にあったのではなかろうか?

 そういう意味では、日本は音楽に関して処女地であるのかもしれない。明治時代にとり入れられた洋楽というものが100年の歳月を経たにもかかわらず、すべて中途半端で、腰の据わったものに育たなかった。
 多少、お役に立ったと言えば、国籍不明の歌謡曲やポピュラー・ソングをいくらか製作したことがあったかもしれないが、洋楽のご本体は全く宙に浮いたままで、いまだに地上に降りてはいないといえる。そういう意味で処女地である。
 そして、戦後ドカドカとアメリカ文明の輸入にのっかって、アメリカン・スタイルのポップスが流れ込んできた。そして、これはギター、特にエレキ・ギターの魅力で、G・Sブームをまき起こし、“燎原の火”のごとく日本全土を襲った。若者のいる家ならギターがあるというほどまでに──。
 ギターで弾けるメロディーが大いに流行した。フォークがそういう意味で最適のミュージックであった。自分で作って、自分で弾いて、自分で歌う。その喜びの中で、フォーク、フォークと若者たちは酔いしれた。
 しかし、この若者たちはおとなになるとギターを捨て、同時にミュージックを捨て、他の楽しみに移って行った。それはアマチュアだけでなく、音楽で飯を食っている人間の中にも、その若々しい情熱を忘れて、生活のために無気力な演奏や指導に明け暮れしている人が多いようだ。
 いったいこれはどういうことなのだろう? これは原則論になるけれど、音楽の真の喜びすなわち音楽の魅力を知らないうちに、楽器の魅力にとりつかれてしまったことの悲劇であると思う。
 楽器が音楽であるという間違いである。その昔、ギターの世界的な名演奏家イエベスが日本に来たとき、「 日本人は音楽が好きであるというよりも、ギターという楽器が好きなようだ 」と痛烈なことばを残して行ったが、まさに、そのことばのとおりだ。
 音楽のほんとうの魅力は、楽器というメカニック自体ではなく、それを扱う人間の心の中にある。言い換えれば、それを演奏する人間の全人格の中にあるものである。そういう意味で、名演奏家の演奏は貴重だ。その人たちの演奏がじょうずであるということはもちろん価値があるが、その人たちの裏側にかくれているパーソナリティーや教養や人生観などによって築かれた芸風に魅力を感じることができるからである。音楽に対するそれぞれの心構えがわかるからである。
 ここでエレクトーンを弾いている人たちに申し上げたいことは、エレクトーンという楽器を扱うときの心構えである。そもそも、エレクトーンは、他の一般の楽器と違って、直接に空気を振動させて発音するのではなく、電気的なメカニズムによって音を発振させるものである。
 エレクトーンを演奏することは、楽器を弾くというよりも、楽器が音楽をやれる状態に作り上げることだ。そのためには、演奏家は自分の演奏する音楽について、きわめてしっかりしたイメージを持っていなければならない。ひょいとキイの上に手を置いて、出てきた音を聞いて、「 ああ、こんな音がするのか 」と感心しているのでは困るのである。「 こういう音楽でなければならない 」と厳然たる音楽的イマジネーションがなければならない。
 問題はかかってここにある。
 「 自分はなにを演奏しようとしているのだ 」
 「 それは、どんな音楽で、どんなムードであるのか? 」
 「 ほしい音色はどんなものか? 」
 こういう自問自答の中から、レジストーションがきまってくるのである。もし、この自問自答の中から、適切な答えが出てこないときは、エレクトーンから生命は消え、それは冷たいただの機械になってしまう。
 この適切な答えをどうしたら得ることができるか? それには音楽家としての幅広い教養と芸術家としてのとぎすまされた感覚が必要になってくる。それを養うために、いろいろな音楽を聞くことが要求される。
 幸いなことに今日の日本には世界のあらゆる音楽のレコードが売り出され、最高水準の音楽家たちが来日し、さかんにコンサートを開いている。そのすべてを聞くことは無理だろうが、一つでも、二つでもよいから、そういうものを聞くことに貪欲になってほしいものだ。クラシックでもよい、ポピュラーでもよい。自分の頭の中にあるミュージック・ライブラリーを豊かにしてほしい。
 特に名演奏家のナマの舞台は、いろいろなことを教えてくれる。その人たちが舞台の上で、どんな姿で、どんな表情で舞台を務めているか──という実際をしっかりとその目で見ることだ。
 拍手に応えて観客席を眺める演奏家のきらきらとした目を見ることだけでも価値がある。そこにはたとえようもない強烈な人間の息吹が感じられるからだ。
 音楽は聞くものかもしれないが、楽器を演奏するということは、たくましい人間の行動であり、生命の燃焼でもある。その姿を見ることによって、その芸術の全貌がわかるのだ。
 そういう意味からいって、エレクトーンの演奏には、おとし穴があると言ってよい。なぜならば、力を使わなくても、フォルテシモを出せるし、ブレスをとらなくても、長い長いフレーズが歌えるからである。
 エレクトーンという機械にすべてをまかせているうちに、ナマ演奏に必要な生命の燃焼が忘れがちになるからである。これは恐ろしいことだ。音楽は、人間の生命力のほとばしりなのである。どんなにデリケートな音がエレクトーンで生まれるにしても、人間の生命力と結びつかなければ、その演奏からはなんの感動も生まれないであろう。
 そういう意味で、ナマのコンサートをぜひ聞いていただきたい。しかも第一級のものを───。
 そこには、必ず太陽のごとく燃え上がる人間がうかがえるからだ。そしてそのときに受けた感動が、あなたのエレクトーンの演奏の上になんらかの形で、影響を与えてくれることは間違いない。
 そういう人間の生命力をエレクトーンで再現するとき、初めて、エレクトーンの真の芸術が開花するものと信じている。とにかく真実の音楽の喜びを知るために、ぜひナマのコンサートを聞いてほしい。

(筆者はネム音楽院々長、グレード審査員)

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そうとう厚ぼったい音楽的教養にのっかって、どっかと座っている…。鋭い指摘です。それほど結果も出ないで終ってしまった…という表現は言い過ぎじゃないの~と思うのですが、それは後に色々影響が出てきたからであって、1972年初頭の時点では表に出てきていなかったのでしょうね。

ちなみに、ワタクシあるでおも遊びでエレクトーンを弾くものですから、服部さんがエッセイの後半で仰ってることはナルホドと納得致します。ナマの、しかも第一級のコンサートを聴きに行けと。ハイハイ、明日の4月10日、『 An Evening with BURT BACHARACH and Tokyo New City Orchestra 』を聴きにNHKホールまで行ってきますから。これなら文句ないでしょ、服部さん(笑)。コンサートのサプライズ・ゲストとして、椎名林檎(バカラックから提供された新曲を昨秋リリースしたアルバムに収録)が登場しないかなぁ…とか妄想するのもまた楽しいですし。

脱線しましたね^^;。ともあれ、当時の雑誌にバカラックがどう書かれていたか、他の音楽誌や総合誌などもっと読んでみたいなぁ~と思った次第です。

※ なお、「 服部正 」で検索すると、「 作曲家でクラシックの大衆化に努めた…。NHKラジオ体操第一の作曲者でもある。 」などと出てきました。思わず「 おぉっ 」と興奮したのですが、どうも同姓同名の別人のようですね~。


【データ】
『 月刊エレクトーン 』3号
1972年2月10日発行(毎月10日発行)
発行所 ㈱ミュージックトレード社
COVER DESIGN 菊地信義
ILLUSTRATOR 味戸ケイコ

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コメント

 今回の記事を読ませていただいて 当時の頃を懐かしく思い出しました。確かに「猫も杓子もバカラック バカラックであった」かと思います。
 突然と言っていいくらい 1970代の終わり頃には(いや もっと前だったかも)突然バカラックさんのことを知ろうにも 全く情報が入ってこなくなりました。

 服部正先生の文章を読ませていただいて 感じたことは 何や 音楽聴くのにハードルが高いんやなぁと思ったのですが よくよく読ませていただいたら これからエレクトーンに携わる方々への心構えみたいなことをおっしゃってるんだと読み取りました。

 実は私の姉はずぅっとピアノをやっておりまして このエレクトーンについて 「ピアノをやっていた者がエレクトーンを弾くのは さほど難しくはないだろうけど エレクトーンをやっている人がピアノに転向するとなったら相当苦労すると思うよ」と 言っていたことを思い出しました。

 まぁ、ひねくれた私が思いますところ ヤマハ音楽院の院長さんのマーケティング理論だと考えますと
「悪貨は良貨を駆逐する」ことへの危機感を持たれてのことと理解いたしますが 私としましては 「もっと底辺を広げ 多くの人にエレクトーンに親しみを持たせ そしてそれから その中から 人を育てる」と言うのもあるんとちゃうのっ?て 思ってもいたりしますねぇ。

 あるでおさんのおっしゃるとおり、「それほど結果も出ないで終ってしまった…という表現は言い過ぎじゃないの~と思うのですが、それは後に色々影響が出てきたからであって、1972年初頭の時点では表に出てきていなかったのでしょうね。」
 
 私ゃ、当時つくづく思いましたよ。「山高ければ、谷深」って・・・・。ブームだとかってのは 短命に終わると覚悟しておいた方がいいのかも知れません。そういうことで言えば 今のバカラックさんの人気度はかつてほどではない分、息は長いかと思われ・・・・・。

 あるでおさんも 息長くこのブログを続けてくださいませね。

1971年当時は本当にすごいブームだったんですねー。「猫も杓子もバカラック バカラックであった」当時のことを知るまったりさんや鮒寿司さんが本当に羨ましいです。私はブームがあったことすら知らないガキんちょでしたからねぇ(T_T)。

服部さんの言葉は、まったりさんが指摘された通り「これからエレクトーンに携わる方々」へ向けられたものだと思います。私自身は、ちょうどバカラックさんの初来日公演があったまさに1971年5月からエレクトーンを習い始めました。当時小学2年生でしたが、エレクトーンの先生はとにかく音楽の楽しさを伝えようという教え方でしたね~。まったりさんがおっしゃる、「もっと底辺を広げ 多くの人にエレクトーンに親しみを持たせ そしてそれから その中から 人を育てる」というレッスンでした。

習い始めて一カ月したころの日記をめくってみましたら、こう書いてありました。 ─ エレクトーンをひいていると、すごく楽しいので、あせがびっしょりでました。ぼくは、おんがくの先生になったきもちでした。ぼくは、「おとうさんが、かえったら、エレクトーンでならったのをおしえてあげて、十円もらおう。」と、おもいました。 ─ なんちゅうガキや(笑)

まーそれはともかく、まったりさんのブログが続く限りワタクシあるでおも頑張ってブログを続けようと思っておりますので!

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